高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点序章(昭和43年)
1968年2月20日(火)
 曇 西那須野にて

 (参考)2月20日宇都宮:晴・最低-0.9℃最高10.3℃。日中は雲が多かった。

1968年2月21日(水)
 晴

 (参考)2月21日宇都宮:晴・最低-6.1℃最高6.5℃。一日中は雲が少なかった。

 九・〇五 テレビをみたり(中村八大の料理)、

 この日見たテレビ番組を、新聞の番組表で赤枠で囲って示すと下のようになる。カラーの記号が付いていない番組は全て白黒放送である。
1968年2月21日テレビ番組表
 NHKテレビ午前9時40分~10時00分:カラー『きょうの料理』「自慢料理」中村八大、[聞き手]宮古碧

 東京12チャンネル(現・テレビ東京)午後1時00分~55分:『若者たち』「祭りの夜」山本学、田中邦衛、橋本功、山本圭、佐藤オリエ
 『若者たち』は1966年2月から9月までフジテレビで本放送された連続青春ドラマ。「君の行く道ははてしなく遠い」の歌い出しで始まるザ・ブロードサイド・フォーの主題歌シングル『若者たち─空にまた陽が昇るとき』(1966年、フィリップス・レコード)は有名。
 この時は東京12チャンネル(現・テレビ東京)に番組販売されて放送されており、関東圏の視聴者にとっては事実上再放送である。
『若者たち』(映画)

 TBSテレビ午後3時00分~4時00分:『ただいま11人』(再)「夢と現実の間」山村聡、荒木道子、池内淳子、山本圭
 『ただいま11人』は1964年6月から1967年3月までTBSテレビで本放送された連続ホームドラマ。重工業会社の設計部長である父と良妻賢母型の母のもとに娘7人息子2人という大家族に起った様々な問題から家族像を描いた。七女役に番組開始当時中学3年生だった沢田雅美が選ばれた。

 四・〇〇 〃 「あいつと私」─あんな風な青春もいいナと思う。明日もみたい。

 日本テレビ午後4時00分~5時00分:『あいつと私』(再)「噂の私」松原智恵子、川口恒、大坂志郎、ジュディ・オング
 『あいつと私』は1967年2月から7月まで日本テレビで本放送された連続青春ドラマ。石坂洋次郎原作の同名小説のドラマ化で、東京・田園調布の裕福な家庭に育った女子学生(松原智恵子)が大学同級生(川口恒)との恋愛で悩みながら成長していく姿を描いた。

 NETテレビ(現・テレビ朝日)午後8時00分~56分:『青空に叫ぼう』「邪魔しないでよッ」大下哲矢、沢宏美、井上清子、広瀬明、路加奈子、北竜二、南風洋子、藤江リカ、[監督]田中秀夫、[演出]小山内美江子
 『青空に叫ぼう』は1967年7月から1968年3月までNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送された連続青春ドラマ。東京郊外の私立女子高校を舞台に、赴任してきた先生を中心に学園ストーリーが繰り広げられる。
 「カトレア女子学園の3人娘、久美子(井上清子)、正美(沢宏美)、みゆき(藤江リカ)は、ある日、スポーツカーに乗った大学生浅川浩と知りあったことから、たちまち彼にのぼせあがり、大騒ぎ。授業もそっちのけで、たがいにライバル意識をもやして恋愛ごっこをはじめた。これをみた相田先生(大下哲矢)はうまく手綱を引締め、男女交際のあり方について考えさせるのだった」(「授業もそっちのけで恋愛ごっこ─青空に叫ぼう」『朝日新聞1968年2月21日』(朝日新聞社、1968年))。

インベーダー NETテレビ(現・テレビ朝日)午後9時00分~10時00分:カラー『インベーダー』「砂漠の宇宙人基地」ロイ・シネス、アンドリュー・プライン、ドーン・ウエルズ、(声)露口茂、北原隆、鈴木弘子、仲村秀生、森直也ほか、[ナレーション]加藤和夫
 『インベーダー』は1967年10月から1970年7月までNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送されたアメリカのSFドラマ。米ABCでは1967年1月から1968年1月まで放送されていた。
 「今回は廃棄処分にされているある陸軍基地が舞台。ここは病気にかかったインベーダーを治療する病院になっている。物語は、潜入したデビッド・ビンセントが、病気の治療に不可欠な水晶を証拠として盗んだことから、やっきになって取りもどそうとするインベーダー、有力な証拠品として持ち帰ろうとするビンセント、たまたま居あわせた学生グループとの三つどもえの争いをえがく」(「砂漠の宇宙人基地─インベーダー」『読売新聞昭和43年2月21日』(読売新聞社、1968年))。

 NETテレビ(現・テレビ朝日)午後10時00分~11時00分:カラー『特別機動捜査隊』「道玄坂哀歌」安川洋一、都築克子、田辺元、阿知波信介、波島進、南川直、岩上瑛、轟謙二、滝川潤、松原光二、[監督]中村経美
 『特別機動捜査隊』は1961年10月から1977年3月までNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送された連続刑事ドラマ。
 「停年間近かで歓送会をうけた川村が、他殺体となって田島家の庭に遺棄されていた。立石班は現場近くの路上で血だらけになってよろけ歩いていたという若い男を手配した。その男は秋田から集団就職で上京した栗本明彦で、大都会の渦にもまれながらも必死に生きようとする真面目な青年だった。彼にはお互いに将来を誓い合った文子という恋人がいた。彼女も栗本と一緒に集団就職で上京した娘である。ところがやはり一緒に上京した前田、川口、井上の3人は悪の道に入りチンピラの仲間入りをしていた。立石班は集団就職にからむ事件とみて前田たちをマークした」(「大都会の渦の中で─特別機動捜査隊」『下野新聞昭和43年2月21日』(下野新聞社、1968年))。

 一〇・三〇 『黒い雨』を読み終り、『日本の歴史』(中)の一章分をよむ。

日本の歴史中表紙黒い雨表紙 『黒い雨』(新潮社、1966年)は、井伏鱒二(1898-1993)が広島原爆の被爆者の日記を基にした小説。当時430円。
 帯には「一瞬の閃光とともに焼けただれた広島の街と人々…〝黒い雨〟を浴びた一被爆者の不安な日々を中心に、原爆の悲劇の実相を鮮かに描き出した名匠・井伏鱒二の異色の力編!」。

 『日本の歴史 中』岩波新書(岩波書店、1965年)は、井上清(1913-2001)の日本史概説書3巻の中巻。当時150円。
 最初の章では「百姓・町人の勢力の上昇─封建社会の最後の段階─」として17世紀後半について記述している。
 帯には「上巻にひきつづき、鎖国の後から明治維新を経て近代天皇制完成にいたる時期をあつかう。厳重な幕藩体制下にもかかわらず、民衆の力はまず経済と文化をにぎり、やがて政治上にも封建制をゆるがせたが、その時、強大な欧米資本主義の圧力が迫ってきた。われらの父祖は、民族の独立と封建制からの解放の課題を、いかにして、どの程度にまで解決したのか? 明治維新と自由民権が与える教訓は何か? これはまさに日本国民形成史そのものである」。

 おとうさんが、かっこにはWebsterの辞書と英語の地図をかってくれ、

☞二十歳の原点1969年5月5日「煙草と「戦後学生運動」がほしいので本(ウェブスターの辞書と米語の世界地図と学生百科辞典)を売りに行った」

1968年2月22日(木)
 晴

 (参考)2月22日宇都宮:晴・最低-9.3℃最高6.7℃。

 嵐山に下宿をかえることの承諾を父から得る。

 嵐山の原田方に下宿している牧野さんから、隣室が空室になることもあり引っ越しの誘いがあった。
原田方

 こんなふうにすごしているとき、牧野さんなんか、サルトルの本なんか読んじゃっているんだろうな。

 ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)は、フランスの哲学者。実存主義の思想は戦後日本の知識層にも大きく影響した。1966年に来日したことがある。

1968年2月23日(金)
 那須おろしの強い日

 (参考)2月23日宇都宮:晴・最低-5.5℃最高6.0℃。平均風速3.9m。
 那須おろしは、栃木県北部の那須地方の台地で冬に山から吹く乾燥した冷たい北西の風のことをいう。

 今日の読書 『花と兵隊』火野葦平著。
花と兵隊文庫版表紙 『花と兵隊』新潮文庫(新潮社、1953年)は、火野葦平(1907-1960)の小説。〝兵隊三部作〟の一つ。

1968年2月24日(土)
 参考のために、今日みたテレビ番組。

1968年2月24日テレビ番組表
 NHKテレビ午前8時15分~30分:『旅路』横内正、日色ともゑほか、[原作]平岩弓枝、[音楽]依田光正、[語り]山内雅人
 『旅路』は1967年4月から1968年3月まで放送されたNHK連続テレビ小説の第7作。国鉄職員とその妻を中心に平凡に生きることの幸せをつづりながら、大正から昭和を生きたヒロイン10歳から55歳までの半生を描いた。
 舞台は北海道、東京、大阪、京都、三重。鉄道員を横内正、その妻を日色ともゑが演じた。平均視聴率45.8%、1968年3月9日(土)に最高視聴率56.9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)の人気シリーズで、最高視聴率は『おしん』に次ぐ歴代第2位だった。

 NHKテレビ午前8時30分~45分:『NHKニュース』
 NHKテレビ午後7時00分~30分:カラー『NHKきょうのニュース』

 高野悦子がニュースを2回見ているのは、金嬉老事件(きんきろうじけん)のためと考えられる。
 金嬉老事件とは、2月20日(火)夜にブローカーで在日韓国人二世の金嬉老容疑者(当時39)が静岡県清水市(現・静岡市清水区)のクラブで借金返済を迫った暴力団員2人をライフル銃で射殺したあと車で逃走、45キロ離れた静岡県本川根町(現・川根本町)寸又峡温泉の旅館に入りこみ、客ら13人を人質にして立てこもった事件である。
 金容疑者は部屋にダイナマイトを積んで威嚇しながら、途中、人質の一部を解放して英雄気取りで報道陣のインタビューやテレビへの電話出演に応じたりしていた。2月24日(土)午後3時24分、記者会見に玄関へ現われたところを変装した6人の捜査員に逮捕され、残っていた人質5人も88時間ぶりに救出された。

 NHKテレビ午前8時45分~9時40分:カラー『こんにちは奥さん』「正しい品質表示を」伊従寛、馬場武次、森美樹、「今年の春物衣料」
 『こんにちは奥さん』は1966年4月から1974年3月までNHKテレビで放送された、平日朝のワイド番組。
 スタジオに主婦を招いた視聴者参加型で、民放の朝のワイドショーに対抗する色合いもあった。月曜から金曜は主に生活情報を扱い、土曜は趣向を変えて制作を報道局政経番組部が担当して身近な経済問題を扱っていた。

 NETテレビ(現・テレビ朝日)午後1時15分~2時00分:『デン助劇場』「デン助と人生うらおもて」大宮敏光、宮田圭子、井上晃一ほか
 『デン助劇場』は1959年4月から1972年3月までNETテレビ(現・テレビ朝日)で土曜午後に放送された、デン助劇団によるコメディ番組。
 脚本・演出もこなす大宮敏光ふんする主役のデン助は江戸っ子のオヤジで、何か頼まれると「デンとまかせろ!」と言って何でも引き受けてしまう。浅草松竹演芸場(1983年閉鎖)から中継録画された。1960年代前半の人気バラエティー番組の一つ。

 NHK教育テレビ(現・NHKEテレ)午後6時00分~7時00分:『若い世代』「男のおしゃれ」(座談会)[ゲスト]橋本峰雄、[司会]平田悦朗、「武道にはげむ女性」(フィルム構成)、「青年の船」(フィルム構成)
 『若い世代』は1966年4月から1969年4月までNHK教育テレビで放送された、討論番組。青年の実態を題材に若者とゲストを中心に討論する番組である。討論のほかにフィルム構成(現在のVTR構成)のコーナーがあった。
 「ミリタリー・ルックの流行、グループ・サウンズの特異なスタイル、男性衣装のカラー化、男性専科の雑誌など、現代は男がおしゃれをする時代といえる。この現象は、商業資本やマスコミによってもたらされたことにもよるが、やはりそこには、既成のものにあきたりない現代の若者たちの強い自己主張の姿も見られる。番組では、こうした男のおしゃれについて、勤労青年や学生など若い人たちが話合う。ゲストは倫理学を教える神戸大助教授・橋本峰雄さん。フィルム構成は「武道にはげむ女性」、ほかに「青年の船」だより(シンガポールから)」(「男のおしゃれについて─若い世代」『朝日新聞1968年2月24日』(朝日新聞社、1968年))。

 NETテレビ(現・テレビ朝日)午後7時00分~30分:『インスピレーションクイズ』[ゲスト]水前寺清子、[司会]ロイ・ジェームス
 『インスピレーションクイズ』は1967年5月から1969年9月までNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送されたクイズ番組。
 視聴者参加型で、お笑いグループ・ナンセンストリオのコントや豪華な賞品が目玉だった。

原潜シービュー号 東京12チャンネル(現・テレビ東京)午後7時00分~56分:『原潜シービュー号 海底科学作戦』「破壊された宇宙船」リチャード・ベースハート(声:黒沢良)、デイビット・ヘディソン(声・納谷悟朗)
 『原潜シービュー号 海底科学作戦』は1967年12月から1969年6月まで東京12チャンネル(現・テレビ東京)で第2シーズン以降が放送されたアメリカのSFドラマ。なお第1シーズンは『原子力潜水艦シービュー号』のタイトルで1964年12月から1965年7月までNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送された。米ABCでは1964年9月から1968年3月まで放送されていた。
 最新鋭の原子力潜水艦シービュー号が、世界の平和を守るために犯罪組織やスパイ、怪獣らと戦う。第2シーズン以降の番組はカラーだったが、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のカラー放送開始が1968年3月28日(木)だったため、この時は白黒である。

 TBSテレビ午後8時00分~56分:カラー『宇宙家族ロビンソン』「異次元の幽霊」ジョナサン・ハリス(声:熊倉一雄)、ガイ・ウイリアムス(声:黒沢良)、ジューン・ロックハート(声:香椎くに子)、マルタ・クリスチン(声:武藤礼子)、アンジェラ・カートライト、ビリー・マミーほか
 『宇宙家族ロビンソン』は1966年6月から1968年3月までTBSテレビで放送されたアメリカのSFドラマ。米CBSでは1965年9月から1968年3月まで放送されていた。プロデューサーは『原潜シービュー号』と同じアーウィン・アレン。
 「ロビンソン一家が漂着している星で磁気あらしが起こり、このため生じた空間のひずみを通ってウィルが地球へ戻った。ところがその場所は、スコットランドの古城の恐ろしい拷問室で、のろいを受けた城主ハミッシュが、400年の昔から幽霊となって住んでいた。ふたたび空間のひずみを通って両親のもとへ戻ったウィルの話を聞いて、一同は磁力で人工的にひずみをつくり、地球へ帰る方法を考える…」(「偶然、地球に戻れたウィル─宇宙家族ロビンソン」『毎日新聞昭和43年2月24日』(毎日新聞社、1968年))。

かわいい魔女ジニー NETテレビ(現・テレビ朝日)午後9時00分~30分:カラー『かわいい魔女ジニー』「宇宙金庫の旅①」バーバラ・イーデン(声:中村晃子)、ラリー・ハグマンほか
 『かわいい魔女ジニー』は1966年8月から1968年5月、および1969年10月から1970年3月までNET(現・テレビ朝日)系列局で放送されたアメリカのコメディ番組。米NBCでは1965年9月から1970年5月まで放送されていた。
 「ふとした事故でジニーが、月ロケットに積む宇宙金庫に入り、ドアがしまってしまった。一度しまるともう開かない。無理に開けようとすると爆発する仕掛けだ。打ち上げは明日に迫っている。何としても今夜中にトニーとロジャーは金庫破りの名人を雇って開けようとしたが時間がない。ジニーを乗せてまさに飛び立とうとするロケットに『そのロケット待て!』トニーは声を限りに叫んだが…」(「ふとしたことから月旅行へ─かわいい魔女ジニー」『下野新聞昭和43年2月24日』(下野新聞社、1968年))。

 日本テレビ午後9時30分~10時26分:『日産スター劇場』「知らない卵がやって来た」鶴田浩二、小畠絹子、高林由紀子、小山伸一、田崎潤、安部徹、角梨枝子、天路圭子、[脚本]西条道彦
 『日産スター劇場』は1963年11月から1969年3月まで日本テレビで土曜夜に放送された一話完結ドラマ番組。
 「戦後すでに23年。それでも戦争の古傷はいまだに残っている。突然現れた実の娘をめぐってまき起る混乱と笑いをヒューマンなタッチで描く。鶴田浩二が1年ぶりのテレビ出演で、めずらしくコメディーものに取組む。脚本・西条道彦。大沢兵馬(鶴田浩二)は、ある会社の課長、妻洋子(小畠絹子)と息子誠一(小山伸一)の3人家族だが、彼のモットーがマイホーム主義なので、家庭はいたって明るく、平和そのもの。ところがある夜、外務省の坂田という男(安部徹)から「桜子というお嬢さん(高林由紀子)が、あなたを捜してはるばるシンガポールから来日する。実はあなたの娘さんです…」という電話がかかってきた。兵馬には心当りはあるが、洋子のショックは大変なもの。たちまち大沢家に予期せぬ冷戦が起った」(「突然、平和な家庭に冷戦─知らない卵がやって来た」『朝日新聞1968年2月24日』(朝日新聞社、1968年))。

 東京12チャンネル(現・テレビ東京)午後10時30分~11時00分:『くらぶ圭三』「へんな声大進撃」[ゲスト]ザ・フォーク・クルセイダーズ、熊倉一雄、曽我町子、水垣洋子、[司会]高橋圭三

 ─計六時間二〇分。

 以上の放送時間を合計すると6時間を大きく超えている。

 見そこなったのは、三時からの「若い世代」─大学生とは何か。三時半からの舞台中継「ベニスの商人」。

 見ることができなかった番組の位置を、番組表で青枠で囲って示してある。
 NHK教育テレビ(現・NHKEテレ)午後3時00分~4時00分:『若い世代』(再)「大学生─大学生とは何か」(討論)草柳大蔵、[司会]籠野博嗣、「青年の船」(フィルム構成)

 NHKテレビ午後3時30分~5時45分:カラー『劇場中継』「ベニスの商人─日生劇場」滝沢修、芦田伸介、樫山文枝、米倉斉加年、清水将夫、山内明、阪口美奈子、牧理恵ほか、劇団民芸
 「劇団民芸の日生劇場1月公演の舞台を中継録画で放送する。民芸がシェイクスピア劇を上演するのは今回が初めて。日本でも古くから親しまれている『ベニスの商人』は、シェイクスピアの代表的な喜劇で、悪質な金貸しのユダヤ人、シャイロックが敗北する勧善懲悪劇として描かれているが、今回の上演では演出の浅利慶太が別の角度から解釈しシャイロックを悲劇の人物として喜劇の中に包みこんでいる。テレビでおなじみの滝沢修、樫山文枝、米倉斉加年、芦田伸介などの出演で、名場面の数々を放送する」(「シェイクスピアの代表的作品から─ベニスの商人」『下野新聞昭和43年2月24日』(下野新聞社、1968年))。
 番組変更されたため、実際にはこの時間には放送されていない。
 倉石忠志農相が2月6日の閣議の記者会見で「佐藤首相も〝平和憲法〟をいっているけれど腹のなかではくすぐったいだろう。こんなばかばかしい憲法を持っている日本はメカケみたいなもので自立する根拠がない」「日本も原爆を持って30万人の軍隊でもあったら…」と発言した問題で、倉石農相が2月「23日夕辞任し、後任には元防衛庁長官の西村直己氏が決った。倉石問題が解決したため、さる7日以来、審議を中断していた衆院予算委員会は」「24日朝からあらためて43年度予算案の本格的な審議がはじまる」(「倉石農相が辞任、きょう審議再開」『朝日新聞1968年2月24日』(朝日新聞社、1968年))ことになった。
 これを受けて当初NHKテレビで24日午後3時30分から放送予定だった『劇場中継』「ベニスの商人」は、『国会中継(衆議院第一委員室から)』「予算委員会総括質問」等に番組変更された。新聞の番組表も全国紙(東京本社)では12版から差し替えられて紙面左上に「12版」と表示されており、2月21日の番組表には版数表示がない点と比べてほしい。
 栃木県北部の西那須野町は全国紙(東京本社)や地方紙(下野新聞)で締め切り時間の早い版が配達される地域だったため、高野悦子が目にした新聞の番組表では変更前の『劇場中継』「ベニスの商人」が載っていたのである。

 お母さんと昌之と三人で横になりながらテレビをみている生活は、

☞二十歳の原点1969年4月4日「一日に昌之がきて、いい気になってしゃべりすぎた」
母 高野アイさんと会って

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