高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点序章(昭和42年)
1967年 7月15日(土)
 晴
 今日は七時に起きて、一日中暑いさなか四畳半のこの部屋にいた。

 京都:曇・最低26.1℃最高33.0℃。この夏初めての熱帯夜(当時はまだ用語がなかった)となり、午前7時には27℃を超えていた。
青雲寮

 クラブがあったがサボッてしまった。

部落研

 午前中は『世界史における日本』を五ページやる予定だったが、残念ながら一ページ半しか出来なかった。

世界史における日本表紙 G・B・サンソム著大窪愿二訳『世界史における日本』岩波新書(岩波書店、1951年)。
 サンソムが1950年12月に東京大学で行った連続公開講義“Japan in World History”の原稿を元にした書である。
世界史的観点から日本史を分析している。また巻末に付録として太平洋戦争に関する論文などを収めている。
 「これから数囘にわたる講義の主旨は、日本の歴史研究家と西洋諸國の歴史研究家の關係を密接にし友好的にするためのいささかお役に立ちたいということであります。西洋における日本史研究を促進するために皆さんのご援助をお願いしたい、そして─甚だ申しにくいことではありますが─西洋の學徒も日本の學者の研究にわずかながらお力添えできるということをお話し致したい、そのために私は參ったものであります」(G・B・サンソム著大窪愿二訳「序説─一つの示唆─」『世界史における日本』岩波新書(岩波書店、1951年))
 ジョージ・ベイリー・サンソム(1883-1965)は、戦前の日本に約30年にわたり滞在したイギリスの元外交官で、戦後は、極東委員会イギリス代表、米コロンビア大学極東研究所長などを歴任した。日本文化史の研究で知られる。和英辞典の編集にも大きな功績を残している。

 『差別』も読むはずだったが手もつけなかった。

 東上高志『差別─部落問題の手びき』三一新書(三一書房、1959年)である。当時250円。
 共産党機関紙では「生きた差別の現実を直接学ぶためには、部落のなかに、あなたの体を運ばなければならない。しかし部落は、見学者も無批判に受けいれてくれるほど、お人好しではない。部落は〝みせもの〟ではないからである。そこで要求されるのは、あなたが、なんのために部落問題を学び、部落に足を入れようとしているのか、ということであろう。
 そうした問題については、東上高志『差別─部落問題の手引き』(三一新書・242ページ・250円)がある。それらを参考にしながら、ぜひ、生きた差別の現実にふれていただきたい。差別の現実に強くふれればふれるほど、部落問題の理解も進むし、本の読み方や、その理解度が高まることはいうまでもない。正しい認識は、現実と切り結ぶことなしには成立しないからである」(山田大介「部落問題を学ぶ人のために」『学生新聞1967年5月10日』(日本共産党中央委員会、1967年))としていた。

 実は十二時二十分の電車で学校へ行く気だったが、

 当時、立命館大学は7月11日から夏休みだったため、この日はもう講義はない。
京阪京津線

 亀井勝一郎の『愛の無常』をぺラッとめくってよんでみたら、「人間とは何であるか」とか、「いかなる政治的党派、思想的立場をとろうと各人の自由であります。……しかし自由の最大の敵は自分自身であることに気づく人は少ない」なんて書いてあったので、

愛の無常について文庫版 亀井勝一郎『愛の無常について』角川文庫(角川書店、1966年)。当時90円。
 亀井勝一郎(1907-1966)は評論家である。
 冒頭にある「序」では、「人間とは何であるか。汝自身とは何ものであるか。無数の人間が眼前に存在し、自分もまたたしかに実在していると思いこんでいながら、さて改めてこの問いを徹してみると、我ながら異様な不安に襲われるのであります」
 「現代にあって、いかなる政治的党派、思想的立場をとろうと、各人の自由であります。ある立場を選んで、自己を自由なりと認めるには事欠きませぬ。しかし自由の最大の敵は、自分自身であることに気づく人は少ない。また真の自由とは一の苦悩だと感じる人も少ないようであります。人生というこの劇場で、人間という俳優の演ずる喜劇と悲劇を御覧に入れましょう」(亀井勝一郎『愛の無常について』角川文庫(角川書店、1966年))で締めくくっている。

1967年 7月16日(日)
 晴 今日あたりから本格的な夏となる。

 京都:曇・最低25.2℃最高34.2℃。

 四時ごろ月見うどんをたべ、同じ席にいる人が食べていた氷がおいしそうなのでついたべてしまったり、

 午後4時の気温は約33℃。

 昨日は、夕飯はパン半ギン、昼食はあんかけしか食べていなく、

 半斤は食パンの単位。スーパーなどで一般的に袋入りで売られている立方体のものが1斤にあたる。
 あんかけは、あんかけうどんのことである。つゆにとろみをつけたあんをかけ、おろし生姜を添えた京都独特のうどんを「あんかけうどん」と呼ぶ。具が入っていない場合、通常は安いメニューにあたる。

 さっき、こくらさんと梅沢さんが明日の合宿のことを話にきてくれた。
 今日は全学連大会に出てデモをしての帰りだとのこと。

 小倉(こくら)さんと梅沢さんは、部落研(立命館大学一部部落問題研究会)の女子部員。2人とも合宿の参加メンバー。
☞1967年8月9日「七月一七日~一九日 合宿、琵琶湖西教寺」

 民青系全学連=全日本学生自治会総連合の第18回定期全国大会は1967年7月13日(木)から16日(日)までの4日間、京都府立勤労会館ホールで開かれた。
 「全国百万学友が全学連の旗のもとに団結し、学園を基礎として統一要求をめざしてたたかおう」をスローガンに掲げた大会は最終日の16日、「学生運動から『左』右の分裂主義者を一掃する」などを内容とした大会宣言を採択、午後7時に終了した。ここで『左』の分裂主義者を一掃するとは、三派系全学連など反民青系と対決するという意味である。
 参加者はその後、京都市中京区烏丸通竹屋町上ル大倉町の勤労会館前から立命館大学広小路キャンパスまでデモ行進した。立命館大学に向けてデモ行進したのは、7月10日(月)に開かれた立命館大学の一部学友会代議員大会で、民青系が学友会執行部を奪還したことをアピール・支援するためである。
 したがって、小倉さんと梅沢さんが京阪山科駅近くにある高野悦子のアパートに話に来てくれた「さっき」は、16日夜遅くのことである。
☞1967年5月2日「よく言われる〝分裂主義者〟について」
三つの全学連
京都府立勤労会館

 「旅」八月号「高原植物こそ心の憩い」佐藤達夫と串田孫一の対談を読む。

雑誌旅の記事 『旅』は日本交通公社(現・JTB)が発行していた旅行に関する月刊誌である。後に発行元が新潮社に移り、2012年に休刊した。
 「高原植物こそ心の憩い」は、植物研究家としても知られた人事院総裁の佐藤達夫(1904-1974)と山岳にくわしい詩人の串田孫一(1915-2005)が各地の高原植物について語り合う記事である。
 「佐藤」「有名なわりに、案外気がつかれていないのは、塩原の奥ね。冬はスキー場とし名が通っているような場所で、冬以外の時期には、あまり人が行かない。上の方にある大池あたりのちょっとした高原のスロープは自然観察路にはなっていますが、ほとんど人っ子ひとり通っていない。今年また行ってみようかと思っているんです」「那須高原は8月がいいと思うな。8月の末ごろになるとほかにたくさんありますけど、マツムシソウが咲くし、エゾリンドウ、ワレモコウなども。秋草というのは早いですね、高原では。8月の間にオミナエシとか咲きそろいますからね」
 「串田」「ずいぶん旅行したり、山歩きしたりした人でも、ひとりで行ったことないという人が案外多い。ひとりで歩いていると、花と話ができるようになるんじゃないですかね」(「高原植物こそ心の憩い」『旅1967年8月号』(日本交通公社、1967年))
☞1968年3月14日「以前に「旅」で」、えびの高原の紀行文をよんで」
☞1968年4月21日「ワンゲル部に入部するか」

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