高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点序章(昭和42年)
1967年 9月 4日(月)
 青雲寮にて
 1967年の立命館大学の夏休みは9月10日(日)までであり、前期試験を控えて京都の下宿に戻ってきた。
 青雲寮☞1967年4月9日
☞1967年9月24日「明日から一週間試験がある」

 日記を書く際の注意
 考えながら書くのではなく、考えた後に書く。
 「重ねて決心するが、恋心的な、ぐち的な、自慰的な文章を書かぬようにしよう。考えたのちに書こう。書いて考え、考えて書こう」(奥浩平『ノート1963年4月12日』「青春の墓標」(文藝春秋新社、1965年))
☞1967年4月28日「私の日記は奥浩平君のいう〝自虐的な文〟でつづられている」

1967年 9月10日(日)
 マルクス・レーニン主義とはどういうものなのか。
 マルクス・レーニン主義とは、カール・マルクス(ドイツ、1818-1883)の提唱した社会主義の思想・理論をレーニン(ロシア、1870-1924)がまとめたものである。内容については、それぞれの立場から様々な理解がある。

1967年 9月12日(火)
 十日の日曜日に全学連を支持する人達の活動者会議があった。
 ここでいう「全学連」は民青系全学連を指し、それを支持する人達の活動者会議とは民青系の活動グループを意味する。
 この時点で全学的な一部学友会の執行部は民青系になっていたものの、一部文学部自治会の執行部は反民青系だったことから、いわば野党の会議にあたる。
☞1967年6月4日「文学部全学連連絡会」

 その後長沼さんの下宿へ行って、同じ一回生の人達と話をしたりした。
 長沼さんは高野悦子と日本史学専攻の同級生で、女子学生会(民青系)の運営委員である。
長沼さんの下宿
 長沼さんの下宿は、京都市東山区山科竹鼻西ノ口町(現・山科区竹鼻西ノ口町)の学生アパートである。長沼さんも京阪山科駅を利用しており、高野悦子と通学ルートは同じである。
2人の位置関係長沼さんの下宿跡
 木造2階建ての建物は現存せず、現在はマンションになっている。

 下宿に着いたのは十一時頃だった。
 長沼さんの下宿から高野悦子の当時の下宿である青雲寮までは約500m。

1967年 9月13日(水)
 カーネーションを買ってきた。
 花つね食堂☞1968年3月31日
高野悦子「二十歳の原点」案内