京都:大雨・最高23.0℃最低15.3℃。朝から深夜まで雨が続いた。
☞1969年6月9日「アスパック粉砕京都統一行動」
☞立命館闘争勝利大報告集会 告知ビラ
☞1969年6月15日「一九六〇・六・一五」
お風呂(銭湯)は、京都市中京区七本松通丸太町下ル三筋目西入ル西ノ京車坂町にあった公衆浴場、八千代湯である。
建物は現存せず、現在は住宅になっている。
☞1969年4月15日「彼ののせた手の感覚はお風呂に入るまでつづいた」
1969年6月12日付メモの記述である。
「アナキズムはふつう、社会主義の一分派として、社会民主主義やマルクス・レーニン主義、キリスト教社会主義などとならんで分類されていることが多い。しかし、これは正しい分類の仕方ではない。なぜなら、アナキズムは社会主義という概念に内包されるものでなく、社会主義と密接に結びついているが、そこからはみでる部分もまた、アナキズムのなかには見出されるからである」
「ぼくは、ここでアナキズムをもっとも広い意味に理解しておきたい。それはいわばヒューマニズムとかデモクラシーのように、はっきりとした理論体系をもってはいないが、それらの理論の目指す方向とそれらの理論を組立てる方法とを提供する、理論の母体のようなものと理解されよう」(大沢正道『アナキズムとはなにか』「アナキズム思想史─自由と反抗の歩み」増補改訂版(現代思潮社、1966年))。
「多くの人はアナキズムをマルクス主義の対立概念として割り切って考えているようだが、実はマルクス主義は、本来近代的な自由主義、個人主義の発展なのであって、アナキズムから多くの栄養分を吸収しつつ生まれ、そしてそのヴィジョンにおいては、国家を否定し徹底した自由を追求するアナキズムの一変種なのである」(白井厚『訳者序言』ジョージ・ウドコック著白井厚訳「アナキズムⅠ(思想編)」(紀伊国屋書店、1968年))。
☞1969年3月15日「「アナーキズムⅠ」を買ってきた」
☞1969年6月21日「その何とかいうやつに「アナーキズム思想史」をおくるのに」