裏愛宕とはおおむね、愛宕山山頂にある愛宕神社から北に、国道162号(周山街道)(京都市右京区~京都府京北町細野(現・京都市右京区京北細野町))から西に、細野川(京都府京北町細野~京都府八木町神吉(現・南丹市八木町神吉))から南に、京都府道50号(京都府八木町神吉~京都市右京区)から東に囲まれた山間部の通称である。愛宕山の表参道に比べると訪れる人は少ない。日記の記述だけではこれ以上の特定はできない。
ただ愛宕神社裏参道と呼ばれるルートのうち首無地蔵(サカサマ峠)から愛宕神社の部分は通ったものとみられる。
首無地蔵(①)は京都府京北町北細野滝谷(現・京都市右京区京北細野町滝谷)にある頭部が欠けた形の地蔵。この地蔵付近に多くの山道がつながっており、目印になっている。付近はサカサマ峠と呼ばれる。
「首無地蔵は戦前の地図にも出ているので、相当古くから首が無いようで、道しるべをも兼ねている」(「地蔵から愛宕山へ」創元社編集部編『関西ハイキングガイド』第2版(創元社、1971年))。
首無地蔵(サカサマ峠)から愛宕神社裏参道を進む。尾根伝い(②)を経て、愛宕神社・竜ヶ岳の分岐点(③)を愛宕神社方向に左折する。この分岐点を通ったこともあって1969年1月30日に愛宕山三角点と竜ヶ岳に行こうと思ったとみられる。
愛宕山の東側を通る途中に展望が良い地点(④)がある。
ここで高野悦子は北山、西山の一帯を眺めている。
その後、月輪寺方向分岐点(⑤)を過ぎ、愛宕神社の石段の下に着いたとみられる。
☞愛宕神社ハイキング写真ポイント
☞愛宕山三角点 竜ヶ岳
☞1968年11月29日「今日のコンパで」
☞二十歳の原点1969年2月6日「酔いながら牧野さんのところへいく」
「ポリタン」はポリタンクの略語。山行用の飲料水を入れるのに水筒より安価で軽量なポリタンクを利用した。ペットボトルや一般向けミネラルウォーターが登場するのは1980年代である。「ファスナー」はファスナーが使われているバッグの意味。
ワンゲル部のスペースが清心館の屋上に通じる踊り場にあったためである。
☞清心館
☞立命館大学広小路キャンパス
☞1968年12月16日「何だか今度の山小屋ワンデリングは全てうまくいったようだ」
1968年12月5日(木)に映画『未青年』を鑑賞している。
☞未青年
12月7日(土)は月の出が午後6時20分・方位55度(北東)・月齢16.8。下宿(原田方)から見て、月が比叡山の方向に位置するのは午後7時45分ごろである。正しくは12月5日(木)の月齢14.8が満月だが、この日は雨だった。
当時は窓から桂川や比叡山付近までの景色を眺めることができた。現在は住宅などに遮られ見えなくなっている。
☞原田方
1968年12月5日(木)に映画『未青年』を鑑賞した際、館内および映画の次作予告で『白い恋人たち』が告知されていたためである。
☞未青年
☞白い恋人たち
ゴーゴー喫茶は、大音響の音楽の中でゴーゴーダンスを踊ることができる喫茶店。ディスコの前身にあたる。京都市内にも複数あった。
☞二十歳の原点1969年2月5日「河原町通りを歩いて、ふとパチンコ屋に入ろうかと思い」
京都:曇・最低5.0℃最高15.6℃。日中は雲が多かった。
前のタバコ屋は松尾温泉鳥米の売店である。
ハイライトは日本専売公社(現・日本たばこ産業)が製造・販売しているたばこの銘柄。フィルター付き・ロングサイズ20本入りで当時80円。
1960年発売で、1968年には売り上げ世界一を記録するなど、1960年代から1970年代にかけて日本で人気の銘柄だった。人気はその後セブンスターに移った。
☞二十歳の原点1969年6月3日「なけなしの金で買ったショートピースの味はうまいのか、にがいのか」
☞松尾温泉鳥米(売店)
NHK-FM午前10時00分~午後0時00分:[ステレオ]リズムアワー①ジャズ「恋の終列車」「天使」②ラテン「エル・ココテーロ」「エスペランサ」。
夕方の散歩で右に曲がったのは京都市右京区(現・西京区)嵐山宮ノ前町ほかにある嵯峨街道(京都府道29号)の松尾大社前(現・松尾大社交差点)である。南西方向になる。
この道は、約50m先で分かれる。二人連れが来たのは、西方向の道の松尾大社からだったため、左手の道で南南東方向に入った。
☞松尾公園
農家の家々や森があったのは東小学校のおおむね南から西の方向である。
☞二十歳の原点1969年6月22日「そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して」
阪急・桂駅の嵐山線上り嵐山方面ホーム(現・京都本線下り大阪梅田方面ホーム)とみられる。
☞阪急・桂駅
NHK-FM午後11時40分~55分:朗読(再)「風にのってきたメアリー・ポピンズ」高井章子
NHK-FMで12月2日(月)に始まり、午前10時45分~11時00分に本放送、午後11時40分~55分に再放送があった。「メアリー・ポピンズ」は、パメラ・リンドン・トラバース(英、1899-1996)の児童向け文学。子守の女性が不思議な出来事を起こす物語で、原作は1934年から1988にかけて執筆された一連のシリーズ。
☞二十歳の原点1969年3月16日「「ね、おはなしよんで」を朗読し」
☞1968年10月30日「PRスキー実行委員としての責任を果たす中で」
☞仕事にいく途中会った・梅沢さん
『白い恋人たち』(原題:13 JOURS EN FRANCE、1968年)は、クロード・ルルーシュ監督のフランス映画である。
日本では東和(現・東宝東和)配給で、1968年11月9日(土)に封切りされた。
1968年2月6日から18日までの13日間、フランス・グルノーブルで開かれた第10回冬季オリンピック大会の記録映画で、「<男と女><パリのめぐり逢い>で激しい評判をよんだ─クロード・ルルーシュ《監督》とフランシス・レイ《音楽》の名コンビが、またも贈る興奮と陶酔の名篇!」。
「監督は「男と女」「パリのめぐり逢い」などで独自の映像美をつくり出したフランスの俊英クロード・ルルーシュ。「アメリカの裏窓」などの作品でドキュメンタリー監督ナンバー・ワンといわれているフランソワ・ライシェンバックの助力を得て、この祭典に集った人々がくりひろげる人間ドラマの表情をあらゆる角度からとらえ、色採ゆたかな映像にリリックな音楽をマッチさせて、記録映画に全く新しい境地を開いている。
撮影に使用されたフイルムは93,000メートル。撮影に従った技術者は、スキー・カメラマンとしてその名を知られているウィリー・ボークナーはじめ、20数名。60台のカメラを縦横に駆使している。
用いられている音楽はすべて「男と女」「パリのめぐり逢い」でルルーシュと組んでいたフランシス・レイの作曲。リリックな美しさに満ちているメイン・テーマ「グルノーブルの13日」はじめ「キリーの歌」「ペギーの歌」「滑降の歌」の4曲で、作詞アヌーク・エーメの夫、ピエール・バルー。彼自身及び新人女優ニコール・クロワジルの2人が歌っている」(「かいせつ」『白い恋人たち』パンフレット(大阪映画実業社、1968年))。
京都では12月7日(土)から12月20日(金)まで東宝パレス映画劇場でロードショー公開された。
☞東宝パレス映画劇場
前の旅館は京都市右京区(現・西京区)嵐山朝月町の料理旅館(割烹旅館)、松尾温泉鳥米(とりよね)である。明治中期に創業し、地元で養鶏場を営む鶏肉等の卸販売と料理屋が沿革の老舗。浴場に「超音波風呂」「サウナ風呂」の施設もあった。
「夏季は、桂川で網舟もやる。網舟というのは、和船に客をのせ、川の流れに漕ぎ出して、投網をし、とれた小魚を舟中で即席天ぷらにして舟中宴をはるもの。京ならではの納涼としてなかなか面白く、会社のレクリエーションや家族づれでも楽しめる」(臼井喜之介「鳥米」『新編京都味覚散歩』(白川書院、1970年))。
建物は建て替えられ、現在は「京料理とりよね」の店名で料亭・日本料理店として営業している。旅館は行っていないが、岩風呂は利用できる。
京都では鶏肉を「かしわ」と呼ぶことが多い。
松尾温泉鳥米には東側の建物に道路(嵯峨街道)に面して売店と喫茶があった。売店でたばこやパンを売っていた。
建て替えに伴い売店は南東側に移動した。
屋外にあったたばこ自動販売機は撤去されている。
☞1968年12月8日「とうとう前のタバコ屋でハイライトを買って来た」
京都:雨・最低11.8℃最高15.2℃。明け方まで全天に雲があり、午前中から雨になった。月出12月11日(水)午後10時20分、月齢20.8だった。
下宿(原田方)の部屋から階段を上ると屋上に出られた。
阪急嵐山線の一番電車は午前5時00分桂発嵐山行で松尾駅(現・松尾大社駅)発車後、午前5時04分頃に原田方付近を通過する。二番電車は午前5時10分嵐山発桂行で、松尾駅停車前の午前5時11分頃に原田方付近を通過する。
☞二十歳の原点1969年3月16日「「ね、おはなしよんで」を朗読し」